むかしむかし、ずうっと昔、安曇野から松本を含む一帯は、一面大きな湖でした。そのころ、泉小太郎は、鉢伏山(はちぶせやま)のふもとに住んでいました。心はやさしく、まじめなしっかり者で、それでいて力持ちでたくましく、泳ぎも得意でした。けれど、実はなかなか人に聞けない自分の出生について、深く悩んでいました。
(向こうに見えるのが鉢伏山。小太郎はこの山の麓に住んでいたということです)
でも、小太郎の近くに住み、小さなころからなにかと面倒を見てくれている「沢のばば」と呼んでいるおばあさんがいました。ある日、小太郎は意を決して「ばば、知っていたら教えておくれや。おらには、どうしてお父もおっ母も、いねえだい」と、たずねました。
一瞬とまどった沢のばばは、しばらく考えてから「知ってる限りのことを言うでな。驚くでねえぞ」と、小太郎に話しだしました。
(安曇野を湖から肥沃な地に変えた泉小太郎伝説に因んで、市内に小太郎の像があります。穂高神社境内にあるブロンズ像)
「実はなあ小太郎、お前のお父はなあ、大日如来の化身(けしん)なのじゃよ。その姿は大蛇、名前は白龍王といったのじゃ。そしておっ母は犀龍(さいりゅう)といい諏訪大明神の化身で、姿は龍なのじゃ」。想像を超えた話に、小太郎は耳を疑いました。
小太郎は大きな衝撃を受けました。しばらくして小太郎が絞り出すような声で、「そんで、お父はどこに?おっ母は?」「生まれてきた小太郎が、人間の姿をしていたのに仰天して、姿を消しちまった。おっ母はなあ、どんな姿でもいいと、とても喜んでなあ。小太郎をとてもかわいがっていたが、小太郎がだんだん大きくなるにつれ、母龍は考え込むようになってなあ。自分の姿が龍であるのは、何かとさしさわりがでてくるのではないかと…。考えた末に、母親もやはり身を隠しちまったのじゃ」
「おっ母は必ずどっかにいる。姿はたとえ龍だっていい」と、小太郎の母に会いたい思いが日に日に強くなり、母親を探す決心をしました。
「ほんとに龍なら、沢筋かな?」と、大きな湖にそそぐ、いくつもの沢を足を棒にして訪ね歩きました。近寄りがたい険しい岩山を越え、谷を渡り、やぶをくぐって探す日々が続きました。でも、なかなか身を隠した母にはめぐり合えませんでした。
(小太郎が左手にある岩から犀龍の背に乗ったと伝えられる龍岩があります。=明科・本町の龍門渕公園内)
ある日、大きな沢を下ってくると、いつの間にか湖の畔にでていました。そこで小太郎は思いっきり「おっかさーん、おっかさーん」と、叫びました。湖面をすうっと滑り広がっていく声には、今まで抱き続けてきた小太郎の母への思いが詰まっていました。
その時です。目の前の水面に大波が立ち大きく揺れたかと思うと、なにやら巨大な黒いものが、小太郎の目の前に現れました。小太郎は自分の目を疑いました。龍です。犀龍なのです。かっと見開かれた目、両側へ長々と伸びたひげ、研ぎ澄まされたノコギリのような歯並び、二本の鋭い角、硬いウロコに包まれた赤みを帯びた体…。
その恐ろしい様相に、小太郎は震えあがりましたが、発せられた声は、そよ風のようなやさしいものでした。「小太郎や、りっぱな若者になりましたねえ。おっかさんも会いたかったよ。でも、この姿でお前の前にはなかなか出られなかったの。許しておくれ」といい、大きな目から涙をぽろぽろと落としました。
(明科・北村にある宗林寺山門の階上の板天井に描かれた火伏せの龍の絵。元禄期、狩野派絵師の銘があります)
それから親子の話が進みました。これまでの小太郎の覚えている小さい頃のこと、いまどんな生活をして暮らしているのかなど、積もり積もった話になり、長い時間に及びました。そして、母龍はこれまでのおわびに小太郎の願いをかなえてやりたいといいました。
小太郎は、しばらく考えていましたが「この湖の水がなくなれば、おらを育ててくれた村の人たちの生活がずうっと楽になるのだけれど…」。村人の生活は、湖と山の間にあるわずかばかりの土地を耕すという貧しい生活だったのです。
母龍は、小太郎が村の人の望みを真剣に考えていることに感心しました。そして「これは命がけの大変な大仕事ですよ」と言うと、「おっかさんと力を合わせれば、できるかもしれねんだね。おらあ、どうしてもやりとげてえ」と小太郎も応えました。
湖の水を抜くために大きな岩をくだき、そばを流れている川に注いでやることにし、小太郎は母龍の背にまたがりました。少しでも、もろそうな岩をめがけて、突き当たりました。「それっ」。しかし、岩はビクともしません。当たる方向を変えたりして、なんどもなんども当たりましたが、岩は崩れません。母龍の顔から血が流れていました。
あくる日も、そのまた次の日も岩に突き当たりましたが岩を砕くことができません。母龍の体はぼろぼろになり、湖の水は、血で赤く染まっています。小太郎も、くたくたに疲れていました。「ウオーッ」と母龍は祈りをこめて、大空へ体を高く上げて残っている力を振り絞りました。
その直後に、たちまち黒い雲が空をおおい、辺りは暗くなり、大粒の雨が湖面にたたきつけ始めました。「ピシッ、ミシミシ、バリバリ」という大きな音がしたと思うと、岩に割れ目ができました。そして、まもなく岩が砕け始めました。
すると湖に張っていた水が、砕けた岩の上を通って低い方へ流れ出て、川の方へと向かい始めました。「やったあ!」「やりとげたわね。小太郎、よかったね」と、親子は喜びあいました。
(犀龍を祀っている明科・宮本の犀宮神社の屋根上にある鯱の飾り瓦)
こうして、長い間、湖の底だった安曇平は犀龍と小太郎の力で豊かな広い土地として、この世に顔をだし耕かされ、多くの農作物を生み出す大地へと生まれ変わったのです。湖から流れて川に注いだ水は、やがて日本海へと運ばれて行きました。そして、湖から流れた水を運んだ川を犀川(さいがわ)と呼ぶようになりました。
*『あづみ野 明科の民話』(あづみ野児童文学会編)、『語りつぐ民話』(信濃毎日新聞社編)を参考にしました。