プロローグ~安曇野の民話を連載します

安曇野の地に居を構えてから、久しく年月が経ちました。年々歳々、郷土への愛着も深まってきました。                                           
遠くへ出かけた帰路、安曇野の山並みが見えてきたとき、「ああ、故郷へ戻ってきた」という感が強くなりました。                                           
そんな思いが湧いてきたころ、ふと気がついたのが「ここは、なんと昔ばなしの多いところか」ということでした。専門ではないので詳しくは分かりませんが、信濃の国(長野県)がそうなのではないか、中でも安曇野はその有数に数えられるのではないかと思えてきたのです。         

           2_3(北アルプスの峰々と、その麓に広がる安曇野には、たくさんの語り継がれてきた昔ものがたりがあります)

昔話については、民話、伝説、昔語りなどいろいろ同じような意味合いでの呼び方があります。そして、「むかしむかし」ではじまる枕詞にも、その「むかし」には、天地創造に関する古代にさかのぼるものから始まり、遺跡、遺構が残る近代のものまでいろいろな年代があり、またあえて年代をぼかす場合もあるようです。

しかし、昔話は、年代は別にしても、親から子へ、子から孫へと何代にもわたり語り継がれてきた幾星霜の歴史があります。                                          

昔話の中身も、人の生き様に教訓を諭すようなものから、郷土の地名となったいわれを言い伝えるもの、あるいは信仰の対象となった地域の氏神さまに関するものなどさまざまです。

安曇野の野山や町中を歩くと、道の傍らのふとしたところに祠(ほこら)や石像、石碑などがあったりします。その一つひとつに当時を生きた人びとの物語があり、そこに地域の人たちの生活の絆といったものが見えてきます。

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時代の移り変わりの中で、地域に残る昔話も語り継がれる機会がほとんどなくなっているようにも見えます。お宮といえば、お祭りのときだけのものになり、なぜ集落の氏神さまとして崇められたのかも忘れ去られてきているようです。

昔話を読むとき、人びとは大自然の厳しさの中で水や土と闘いながらも、そのしっぺ返しを受けた時は、今のように科学が発達していない中では、ひたすら祈り、神のご加護に頼ろうとしました。そこには先人たちの苦難の生活の匂いが感じられます。

科学的根拠がないといえば 、それまでのことですが、昔話の氏神信仰にまつわる話しを聞くと、土臭いほのぼのとしたあたたかさが感じられます。

そういう意味では、その地に伝承されてきた昔話は現代社会に生きるわたしたちに、解毒効果を与えてくれているのかも知れません。                                           

安曇野に言い伝えられてきた昔話を、「安曇野むかしばなし」として連載し、ご紹介したいと思います。

昔話の舞台となった地や祠、社、石像、あるいは生活道具などを、できるだけ収録し、写真で掲載していきたいと思います。

 

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